その罪はどこにあるのか

ホーソーンの『緋文字』を読んでいて、チリングワースの罪はどこにあるのかを考える。幸せな結婚という実現しない夢を見せたことだったとするなら、それはおれと同じ罪ではないのか。あのひとの望む幸せを実現する力もないのに近づき、それを実現できるかのように思わせ、あのひとを傷つけたのがおれの罪だ。でもあのひとの望む幸せを実現できない自分の無力に気づいたのは、もうあのひとを諦められなくなったあとのことだった。