やりなおせたかも委員会

あのひとと過ごした日々の終わりのほうであったり、もう会わなくなってから何度かした連絡について思い出すと、もしかしたらそこで何かが変わったのかもしれないな、と思ってしまう。いつもはしないことを「したい」と言ってくれたときや、仮定のかたちで「一緒に暮らせば無駄がない」と言ってくれたとき、おれが適切に反応できていたら、いまと違ういまがあったんじゃないだろうか? あのだれもがつらく寂しかった時期を、支えあった豊かな日々にできたんじゃないだろうか? それを考えると悔しくて何もできなくなる。ずっと何もできないままだ。