ゴールデン・ベスト

 昨夜は『春原さんのうた』を観たあと、友人がバーテン(日替わり)をしている新宿の店に飲みに行った。若干緊張していたのだが、店に入った瞬間、同じグループの別の友人も来ていたという偶然におどろく。twitter上ではお互い生存確認をしていたけど、顔を合わせるのは何年ぶりなんだろうというくらいの時間が経っていることにもおどろく。「珍しいね」と言われ、「寂しかったから」と言うと、「そういうこと思わない人だと思ってた」と言われたりして、よく見られていたのだなと思う。たしかに、このメンバーとよく会っていたときおれは自足していて、ひとりでいることはなんの苦でもなかった。ひとりでいることのほんとうの苦しさを知ったのは最近だ。
 途中、バーテンをしている友人が別の店で仲良くなったらしい著名な映像作家・文筆家の方も店にやってきて、『偶然と想像』の話などをする。彼の書いたものは、おれにとっては読んだら自分が壊れてしまいそうな本、という位置づけでわりと積極的に避けてきたのだが、すこし話しただけで聡明で誠実な人だということがわかったので、いまさらながら読んだほうがいいかもしれない、とも思った。もうかつての自分は壊れてしまったのだし。
 みたいなことまで思ったけどやはり生身の人間と会って飲むことの大事さがよくわかって、店を出るころにはだいぶ気が楽になっていた。酒は強くないし金もそんなにざぶざぶ使えないからそんなに頻繁には行けないが月に1回くらいは行きたいような気もする。と、言いつつ、新型コロナウィルスの新規感染者数が爆増していて行きにくくなる予感。

 みたいなことを考えつつちょっと遅めに寝たのだが、規則正しい時間に起きて、『偶然と想像』(監督舞台挨拶つき)を観に行く。ほんとうは劇場(Bunkamuraル・シネマ)公開初日に舞台挨拶だった予定が、海外の映画祭帰りで隔離されててなかなか実現しなかったのだそうだ。ティーチイン的なパートがあるかと期待したが、客席で発声させないためということでなくて残念。できれば第三話の冒頭にあの設定を入れた理由について質問してみたかった。二回観て、やはり瀬川の言葉に勇気づけられる。エリック・ロメールの映画の編集をしていたマリー・ステファンと濱口竜介監督の対談が載っているということで激推しされていた劇場用プログラムを買って帰宅。