ここは退屈迎えに来て

U-NEXTでの配信が終わるというツイートを見て、昨夜はあわててレナ・ダナム監督『タイニー・ファニチャー』を鑑賞。事前の期待ほど、目が覚めるような傑作とは思わなかったが、リーマンショック直後の大学卒業者が抱える閉塞感を描いてる面もあってみどころはあるという感じ。
カポーティの短編集を読んで以来考えている都市の孤独の問題にも通じてくる。
木村草太編著『いま、〈日本〉を考えるということ』のなかで、山本理顕アレントの『人間の条件』を引きつつ次のようなことを書いていて、都市の孤独の問題について考えるヒントになりそうな気がしている。

「プライバシー」という概念は、囲い込まれ、隔離されている状態を意味していました。「ギュナイコニティス」(女の領域)の内側にいる人たちを囲い込んでいたわけです。逆にその内側から見れば「なにものかを奪われている(deprived)状態」(アレント『人間の条件』六〇頁)です。つまり、政治に参加する権利を奪われている状態ということになります。アレントに従えば、ですから「私的(private)」という用語は「『欠如している』privateという観念」(同書、八七頁)を含んでいるわけです。(『いま、〈日本〉を考えるということ』pp.27-29)