ラッキースケベと津波

 千葉雅也・二村ヒトシ・柴田英里『欲望会議――性とポリコレの哲学』を読む。「『ゆらぎ荘の幽奈さん』問題をめぐって」で、千葉雅也が「東日本大震災以降の責任の問題」の話題に接続して次のようなことを言っていた。

 海の逆噴射によるラッキースケベの描写から津波というのはあまりに突飛な連想ですが、これに関してもあれに関しても傷ついている人がいるとネットでガンガン言いあって、いかに正しくあるかみたいなことで騒がれる社会になったのは、特に震災以降なので、結びつけて考えることには意味があると思うんですよ。(『欲望会議――性とポリコレの哲学』角川ソフィア文庫、p.85)

(特にweb上の)誰も傷つけない≒「正しい」発言以外は認めない、というような言論状況っていつからなんだっけ、ということを考えなくなってずいぶん経つけど、そうか、震災からつながっているのか、ということを認識する。もしかしたら再認識かもしれない。「誰も傷つけないためにはポポポポーンとでも言っているしかない」という議論をどこかで読んだような気もするし。