ドア

 仕事始めの会社に向かう電車で「文學界」2021年9月号を開いていた。映画『ドライブ・マイ・カー』をめぐる濱口竜介野崎歓の対談を読むためだ。『偶然と想像』があまりに素晴らしかったので、もっと理解するためのヒントが欲しくなったのだ。

感情を抜いて読む、ということは自分自身をテキストそのものへと近づけることです。それを繰り返すことでテキストを身体化する、ということは本読みを通じて「テキスト的人間」になる、ということです。そこでは、テキストそのものになるという不可能な夢が生きられている。(pp.102-103)

という濱口竜介監督のコメントはすごく重要で、『偶然と想像』第二話の瀬川の台詞の内容がまんなかから第一話と第三話を支えているのではないかという自分の読みと整合する。「テキストそのものになる」というときのテキストというのは、書かれた文章という意味以上に、関係性のなかのわたし、ではなく、関係性としてのわたし、になる、という意味ではないのか、ということを考えた。『偶然と想像』についてはもう一回(以上)観てしっかり考えようと思う。